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タニグチコウヨウ.blog

しょーもない一瞬一瞬を切り取っていきたい。

2月26日の出来事

今日もベーグル屋のアルバイト。
 
終わって片付けをしている時、経営陣の一人でいつも気さくに話しかけてくれるIさんからふいにこう言われた。
 
「若い頃はさ、世の中の大人たちが夢を諦めたように思いがちだよな。そう思ってるっしょ?でもな、みんながみんなそうじゃなくて、生きている中でいろーんなことを受け入れて、その状況の中で何ができるかを必死に考えているんだぜ。たしかに諦めちゃうヤツもいるけどさ、大人の中にはさ、自分が今立っている場所を考慮して、必死にもがいている人もいるんだぜ。おれも去年40になったけど、その年になってやっとわかったよ。」
おおよそこんな感じの内容だった。
 
この言葉が身に沁みた。僕もたまにこう思うことがあったからだ。
自分が尊敬する一部の大人を除いて、あとの人たちは若い頃の夢を途中で諦めて、自分の人生に妥協して、今おじさんおばさんと言われる年を生きているんだと。
 
でもそうじゃないんだ。若いうちは、好き勝手できるうちは、自分がやりたいことを思いぞんぶんやればいい。でも人生どうにもうまくいかないことが増えていくのだろう。立ち止まらざるを得ないときも来るだろう。そのときに、またエイヤっと頑張れるか。自分なりの方法で新しくスタートを切れるか。それが夢を簡単に諦めちゃう人ともがき続ける人の違いなのだろう。
 
夜の9時からピース又吉先生の『火花』に続く、第二作目の執筆に向けての姿を取材した番組を観た。
日々、エッセイの締め切りやテレビの収録に追われながら、小説の執筆に奮闘する先生の姿は静香に鬼気迫るものがあった。
 
番組の中で先生はこう言った。
「僕みたいに30過ぎた人間は思っていることをストレートには言えなくなってきます。言うと、なんやこいつ気持ち悪いと思われてしまう。だけど、小説の中は自由なんです。小説では自分の心にあるものぜんぶ出していいんです。そういうものなんです。」
 
今日のIさんの話と又吉先生の言葉が繋がった。
大人になっていく、ということの輪郭が見えた気がした。それはちょっぴり自分の将来の姿に重ねたくなるものだった。
 
大人になるということは、どういうことか。僕はそれを自分の言葉で表現したい。