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タニグチコウヨウ.blog

しょーもない一瞬一瞬を切り取っていきたい。

海外の事件に対する「空気」への違和感。

 

こんばんは。
 
11月19日に南米コロンビアで一橋大学に通っていらっしゃった大学生、井崎亮さんが殺害されたニュースにはとてもショックを受けた。
 
井崎さんはコロンビア中部のメデジンで携帯電話とタブレット端末を盗まれ、犯人は逃走。その後、井崎さんは追いかけ、追いついたところでもみ合いになり、突然現れた仲間に銃で撃たれて亡くなったそうだ。
 
井崎さんは、国際協力の現場を直接見るために世界一周をしている途中だった。
 
同年代として、非常に胸が痛い。
 
僕はこの事件について調べているうちに、井崎さんが生前書かれていたブログに行きついた。出発した2月上旬から亡くなる3日前まで、井崎さんの歩いた痕跡が綴られている。時には失敗談やジョークも書かれており、彼がオープンな人柄だったことが想像できる。
 
僕がショックだったのは、彼が亡くなられたという事実はもちろん、この事件への日本の中の空気感のようなものに違和感を感じたからである。二重にショックを受けた。
 
自己責任、という言葉に集約されるのだろうか。
 
海外で殺害されることはしょうがない、というような一種の諦めのような感情とでも言おうか。
 
このことのニュアンスを伝えるのは難しいが、なんとなくこういう雰囲気を感じた人はいるのではないだろうか。もしくはあなたも自己責任だから仕方ないよな…と思った一人かもしれない。
 
日本に限ったことかはわからないが、僕はこの空気感が大嫌いだ。
 
どんなに悔やんだって、何を言ったって彼の死は消えないし、今後も「暴力」というものが存在する以上、同じような事件は繰り返すだろう。
 
でも、今夏のバングラデシュのダッカの飲食店襲撃など多くの海外での事件に対して、「かわいそうだけど…、そんな危なそうなところに行ったから仕方ないよね…」というような感想を持つ日本人は多くいる気がする。実際、事件後の井崎さんのブログに対するコメントは心無いものが多かったそうだ。
 
同じ日本人、彼のような意欲あったであろう日本人の死に対して、もう少し別の感情を抱くことはできないだろうか。うまく言えないが、もっと優しく、思いやりをもって、相手への想像力を働かせることができないだろうか。思いに距離は関係ない。
 
好き勝手書いた文を読んでくださりありがとうございます。
 
井崎さんのご冥福をお祈り申し上げます。
 
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