タニグチコウヨウ.blog

しょーもない一瞬一瞬を切り取っていきたい。

十九歳の地図/中上健次

この時代の19歳はこんな感じだったのか…と、少々拍子抜けしてしまう。
 
若者が社会に対しての閉塞感や今の境遇への不満を感じているというのは分かる。が、それを赤の他人に迷惑をかけるという形で解消しようとする奴は今はほとんどいないだろう。
 
当時これを読んだ若者は本当に共感したのだろうか。
 
汗と精液の匂いで充満した部屋で、30代の狂った男と同居しながら、予備校にも行かず新聞配達のアルバイトでなんとか飯を食う「ぼく」は、行き場のないモヤモヤを抱えている。どん底である。
ただ、唯一の救いが、赤の他人に迷惑電話や爆破予告をすることだった。それによって、なんとか社会を変えようとしていた。
 
イライラして親にあたったりするのとは違う。
何か大きなことをしたい、認められたいというだけでもない。
ただ、犯罪まがいなことをして、世の中を少しでも変えたいだけなんだ、「ぼく」は。うん、分からなくもない。でも、そんなことをしても何も変わらないことを知ってしまった。空虚な心だけが残り、ラストはとうとう涙を堪えきれない。
彼にはそうするしか救いがなかったのだから、最後の砦を崩された思いだっただろう。信じていたものを失う時が、生きていて一番つらいんです。そうでしょ?
 
40年以上前に書かれた文章でありながら、人間の本質をついているのは間違いない。
 
 
僕は気怠くって動くのも面倒なことが多いから、わざわざ外に出て迷惑電話や爆破予告をするその無駄なエネルギーにこそ違和感を感じた。
同時にそんな主人公の溢れるエネルギーが羨ましかった。

 

十九才の地図 (河出文庫)

十九才の地図 (河出文庫)

 

 

小学生に戻った気分で。

小学生みたいな日記を書いてみよう。

 

7月2日(日よう日)
今日は、幼なじみのゆうたくんとりょうたくんと50m競走をしました。ゆうたくんもりょうたくんもけっこう速かったですが、僕が一番速かったです。将来はサニブラウン選手みたいに日本一の選手になりたいので、明日からもたくさん練習しようと思います。

 

これでおれの小4くらいだな。たぶん、漢字はそこそこ書けてた。

 

でも大学のレポートも真面目に書いたことはほとんど無いし、根本的な文章力は変わってない気もする。


さて、本日小学校の砂グラウンドで5年振りにタイムを測ったら、7秒3だった。ぶっちゃけ昔の自分からすると全然ダメだが、思ったよりもずっと良かった。嬉しい気持ちが溢れでた。

 

僕は小学校に入った頃から足が速かった。誰と走っても、なんだかんだで1番速かった。だから、走ることが大好きだった。中学に入り、迷うことなく陸上部を選び、50mは6秒2とか3とかだった。

 

でも、引退したことや怪我したことで高2の時点で7秒4まで下がってしまった。

 

それ以来短距離のタイムを測ることはなかった。
それに、現在進行形でアキレス腱の怪我が続いているので、走れない日もよくある。
昔は当たり前だった「走る」ことから、どんどん遠ざかっていたんだ。

 

だからこそ、今日は少し自信がついた。おれの肉体はまだ若いぞ、まだ走れるぞと。
今日のタイムを皮切りに、また徐々にスピードを戻していきたい。
久しぶりに、
「おれ速ぇ!!」
と、走りながら実感するために。

 

未だに身体がベッドから動かない日も多い。生きることが本当に面倒に感じてばかりいる。
そんな時に走ってよかった。2人ともありがとう。

 

ちなみに
りょうたくん8秒0
ゆうたくん8秒3

 

鍛え甲斐があるってもんよ。笑

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スローカーブを、もう一球/山際淳司

 
故・山際淳司さんの書いたスポーツノンフィクションを紹介します。
スローカーブを、もう一球 (角川文庫)

スローカーブを、もう一球 (角川文庫)

 

たったの一球が、一瞬が、人生を変えてしまうことはあるのだろうか。一度だけ打ったホームラン、九回裏の封じ込め。「ゲーム」―なんと面白い言葉だろう。人生がゲームのようなものなのか、ゲームが人生の縮図なのか。駆け引きと疲労の中、ドラマは突然始まり、時間は濃密に急回転する。勝つ者がいれば、負ける者がいる。競技だけに邁進し、限界を超えようとするアスリートたちを活写した、不朽のスポーツ・ノンフィクション。(BOOKデータベースより引用)

 
本書は表題作を含むぜんぶで8つの短編より成り立つ。内訳は野球が4つで、残りはボート、ボクシング、スカッシュ、棒高跳びというマイナー競技である。
 
作者の特徴といっても良いと思うのだが、とにかく文章の構成が素晴らしい。導入と結末の間に回想シーンや相手選手などの発言をふんだんに織り交ぜており、たった1シーンに何重もの深みを持たせている。最初は慣れないかもしれないが、まさに「読ませる」文章である。
主人公の選手だけでなく、ほぼ全ての登場人物にインタビューしている。例えば、表題作の「スローカーブを、もう一球」では自チームの選手や監督だけでなく、相手チームの選手や監督の発言も登場する。
 
その中で特に、最後の「ポール・ヴォルター」に最も引き込まれた。
主人公の高橋卓己さんは非常にストイックな棒高跳びの選手だ。彼がより高い記録を目指す過程における葛藤や喜びが、山際さんの繊細な文章によってありありと表現されている。
ただ、僕が惹きつけられた理由は、それだけではない。この短編だけ、他の7つとは少し異なる思いを持って書かれていると感じたからだ。
 
ぼく自身のことを、ここで語っておけば、ぼくは一度たりとその種の限界に遭遇したことのない、いわば、日常生活者である。肉体の限界に遭遇したいと夢見ながら、目がさめるとぼくは、哀しいかないつも観客席の立場にいるわけだった。(本文より)
 
背が低く、体格で恵まれているとはいえないにもかかわらず、決死の覚悟で自己を追い込み続ける高橋選手を目の当たりして受けた正直な山際さん自身の感情。憧れを通り越し、嫉妬している。そのような個人の感情をノンフィクションの中で表すのは、勇気を伴う大きな挑戦だったのではないか。
これは沢木耕太郎さんの代名詞、ニュージャーナリズムと言えようか。いやいや、もはやノンフィクションの域を出て、山際さんならではの味のあるスタイルを確立されたといっても過言ではないだろう。
 
途中、山際さんはこんなことも言う。
 
暑い一日だった。ぼくは二十代のちょうど半ばあたりを、あえぐように生きていた。たいした夢もなく、「希望」「幸福」関係の言葉とはおよそかけ離れたところをうろついていたというイメージが、残っている。
(中略)
誰もがそうであるように、やりたいことができずにうんざりしていた。そもそも、やりたいことが何なのかわからないという状況もあった。つまり、最悪だった。(本文より)
 
なんだか、今は天国にいらっしゃる山際さんがとても近くに感じました。
 
こちらのブログでより詳細に、分かりやすく「ポール・ヴォルター」、そして山際さんの魅力が書かれています。ぜひこちらもご覧くださいな。
 

d.hatena.ne.jp

 

おしまい。

風の歌を聴け/村上春樹

ほぼ日で先日まで雑誌『考える人』の編集長をされていた河野通和さんが今の19歳に読んで欲しい本30冊を紹介していく連載がはじまった。
僕は暇なのでここで紹介されていく本をなるべく読んでいきたいと思う。19歳かどうかは、あんまし関係ないでしょう。
河野さんとは約1年前ほぼ日で行われたイベントでお話したことがあり、当時の僕の浅はかな将来の展望を優しく聞いていただいた経緯もあり、すぐにこうしたいと思った。
 
とはいえだ。僕は飽きっぽい。僕は僕のその部分を一番信用していない。が、退屈な日々を上手く紛らわすのと何らかの教訓を得る目的で手始めに最初の一冊を手に取ってみた。
 
風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

 

 

 
村上春樹の処女作。
正直、内容はつかみきれない。断片的で、あっちこっちに振り回される印象。
なのに、何故だがページをめくる手は止まらず、最後まで夢中に読めてしまう不思議な作品である。
 
冒頭の一行がすきだ。「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
 
地中海?カスピ海?とにかく日本が舞台ではないのでは?と思わせる気取った文体。でも、鼻につかない。
 
この作品は3部作の最初で、続きがあるそうなので、それはもうすぐにでも読みたい。
 
 
ところで新宿にはBOOKOFFが西口と東口に一つずつある。ちょうど両店で20%offセールをやっていたので、家にこもるお伴を求めて向かった。西口⇒東口とハシゴしたのだが、その際に一歩も無駄にせず、本当に最短ルートを歩いたと思う。無意識の内に。
 
道に慣れるということは、それだけ多くの回数を歩いたということだし、それはつまりその道にそれだけの思い出があるということだ。
新宿には楽しい思い出も、苦い思い出もある。
もう会えない人、大好きな人、お世話なった人。色んな人と歩き、話し、ご飯を食べた新宿では、僕は確かに誰かと関わっていた。
あの頃が、懐かしい。

もがいて、もがいて。

僕をやる気にさせるのも、憂鬱な気分にさせるのも、結局のところ自分自身だ。
頭ではわかっている。でも、本当に生きているのが面倒になることがある。


最近また色々と本を読み漁っている。ちきりんさんと梅原さんの『悩みどころと逃げどころ』を読み返してみて、全体的に腑に落ちたので書く。

学校的価値観。僕の苦しみの理由の一つに、これが関係している。それは前から感じていたけれど、ただの独りよがりな考えだとも思っていたので、本書に後押ししてもらえてよかった。

本書においての学校的価値観とは、「真面目に勉強して良い大学に行って大きな企業に入れば、幸せになれますよ」ということ。

僕は小中高と、この学校的価値観にこれ以上なく染まりきっていたと思う。
成績は常に上位であり、部活にも(自分で言うのもアレだが)超がつくほど真面目に取り組んだ。
先生や親に褒められるのが嬉しかったから、そのために頑張った。そのためだけに頑張った。
別に将来一流企業に入ろう、そのためになるべく難関大学に入ろうなどと考えていたわけではない。ただ、周りの環境、親、先生に流されていた。完全な思考停止状態だったわけだ。
修学旅行では夜はきちんと眠り、DSを持って行くこともなかった。友だちはわざわざゲームキューブを持ってきたりしているのに。
僕は改めて(全てではないが)真面目君してたなあと、今振り返ってみても思う。

で、大学では反動が押し寄せた。学校的価値観の言う幸せからなるべく遠ざかろうとしたのだ。周囲がやらないようなことをやりまくった。その一つ一つは些細なことだと言われるかもしれないが。
だが、問題はそのほとんどが他者の評価を目的としていたということだった。僕はあるコミュニティの中で目立ったり褒められたり認められたりすることばかりを目的にしていた気がする。それは意識していた部分もあれば、無意識の内にやっていたこともある。

つまり、僕の青春時代は
学校的価値観に素直に従う、目の前の人に認められたい
→大学でそこから脱却しようとするが、やっぱ他者の評価無しには生きられない
そもそもやりたいことは何?自分で物事を選択できない、立ち往生。
みたいな感じか。飛躍もありそうだが。

素直に学校的価値観に乗っかってきた僕みたいな人間で、いざ将来の選択を迫られた時に困ってしまう人は大勢いるのだと思う。本心では何か違うと思っていても、自分で選択する力がないのだ。

大切なことは自分で選択すること。
そして、精一杯あがくこと。
そうやって選択して、失敗して、あがいてってやっていくと、いつか人生の納得感が得られるよ、いい人生だって自分で言えるよっていうのが、梅原さんの主張。

うん、やっぱりそうなんだろうな。
すると、今の自分は間違ってない。もがきまくっとるもん。
ここに正解を求めたら、それは学校的価値観に染まってる証拠なんだろう。もう少しもがいてみることにする。

というか、もがける余裕があること自体幸せなんだけどね。感謝です。

 

悩みどころと逃げどころ (小学館新書 ち 3-1)

悩みどころと逃げどころ (小学館新書 ち 3-1)

 

 

なんでだろ。

うーん、苦しい。
やりたいことがない。人と会いたくない。何もしたくない。面倒くさい。毎日がつまらない。
 
僕がこんな風に思うようになってからもう2年くらい経つだろうか。
人に会いたくないと思いはじめて、大学時代のたくさんの出会いを無下に扱うことは、自分自身も苦しめたが仕方なかった。誰とも話したくなかったし、それは今もあんまし変わっていない。
 
もちろん楽しい日々もあった。救ってくれた恩人もいるし、本当に大切に思っている人はいる。
でも、一人になった途端、何も面白くない、辛い日々となる。
 
これから書く文章は誰かに読んでほしい訳でもなく、とりあえず何か書いておかなきゃヤバいという使命感で書く。
現在はギリギリ生きるためのバイトだけをしている状況で、Youtubeやマンガに逃げ込んでいる。まあ今にはじまったことではない。
 
以前は周囲からは活発に思われていたであろうし、僕も自分は活発な性格だと思っていたのだが、何故僕はこんな風になってしまったのだろうか。
 
それを、とりあえず、これからの数日か数週間か、無理をせずに整理していこうと思う。嫌になったら、やめる。

デジャブ。

昨日の朝の出来事。
 
家から出ると、甲州街道沿いにバックパッカーを担いだ欧米人カップルがいた。なにやらキョロキョロして、落ち着かない様子だ。
 
学校が始まるまで時間はあまりない。
さあ、どうするオレ。。
 
以前の失敗を思い出し、Can I help you?と切り出してみる。
 
すると、男性がこう返してきた。
 
ヒッチハイクでタカヤマまで行きたい”
 
僕は一瞬この人は何を言っているのか分からなかった。頭の中でタカヤマタカヤマ…はてなんじゃったかの…と思考を巡らせる。
 
あー!!高尾山のことを言ってるのか。OKOK。まあ、ヒッチハイクで行くのは賢いとはいえないけど、行けなくもないな。
と、一人で腑に落ちていると、NOと言ってくる。
 
男性が見せてくれたスマホの画面には、なんとあの、岐阜県高山市が表示されていた。東京から高山市まで約350キロ。そうかそうか、チミたちはヒッチハイクで飛騨高山まで行きたいのか、ハハハハハ…ハハ…。
 
バカもーーーん!まず遠い!んで普通ここでヒッチする?甲州街道だよ!?はじめてみたよ!だいたい今何時だと思ってるの!9時前だよ?朝だよ?朝みんな忙しいから乗せてくれるわけないでしょーが!!
 
と言いたい気持ちをグッとこらえて、OK, you are crazy guysとニッコリ伝えると、Yes, we are crazy challengersとニッコリ返してきた。
おまけに、この方面はタカヤマの方面だろ?そうだろ?と自身満々に言ってくる。確かにそうだけど…。新宿方面か府中方面か言うのと同じトーンで言うんじゃないヨ!
 
最終的に、日本でヒッチハイクするならここだよ、と用賀ICを教えてバイバイした。彼らはニッコリとサンキューと言っていたが、まだ甲州街道でのチャレンジを諦めていないようだった。
 
彼らと別れた後歩きながら、いやあクレイジーだったなあなどと少々バカにしていたのだが、途中から急に過去の自分の体験を思い出し、恥ずかしいやら懐かしいやら、よく分からない気持ちになった。
 
僕が3年前にタイのバンコクに行った時のこと。全くのノープランで、とりあえず北方のチェンマイという街を目指そうとした。選んだ交通手段はヒッチハイクだった。
 
バンコクからチェンマイまではるか700キロ。
まさに甲州街道のような慌ただしい道路で、僕はヒッチハイクを試みては、失敗を繰り返した。でも、中には優しい方もいて、何人かに乗せてもらった。とある若者のグループには乗せてもらったうえにお昼ご飯までごちそうになり、バイクで2ケツしていたカップルにはもう夜遅いからと女性が降り、代わりに僕を後ろに乗せてバス停まで送ってもらった。
 
結局、時間的な問題もあり、諦めて電車に乗ることになるのだが、大学1年生の時の怖いもの知らずだった僕と、バカな日本人旅行者を全力で助けてくれたタイの方の記憶が鮮明に甦った。
 
そんな自分を棚に上げて、彼らにバカもーーーん!などとどの口が言えようか。否、言えるわけがなかろう。
 
強烈なデジャブを感じ、僕は電車に乗った。
はたして、彼らは1日でどこまで行けただろうか。幸運を祈るばかりである。
 

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